企画展よもやま話

2013年11月25日 (月)

貝合わせとカルタの関係

 当初、トランプの一種として遊ばれていたかるたは、江戸時代には貝合わせや貝覆いと融合して、現代の我々が知るような和歌を書いたかるた、すなわち歌かるたへと変貌していきました。
 貝合わせや貝覆いは、もともと日本にあったものでした。この二つの遊びは似通っているため、早くから混同されてきましたが、もともとは別な遊びです。
 貝合わせは、貝の美しさを競うものです。参加者が左右に分かれ、それぞれ貝を持ち寄って、それに和歌を添えて優劣を競いあいました。
 一方貝覆いは、一対のハマグリが、互い以外の貝には合わないという性質を利用した遊びで、貝の外側の模様を見て、対の貝を探すというものでした。やがて貝の内側に、対になるように絵を描いて装飾を施すようになり、題材には源氏物語や伊勢物語、花鳥風月が用いられました。室町時代には、和歌の往信や、上の句と下の句を別に書き、贈答に用いたこともあったようです。
 和歌を添えて競われた貝合わせと、和歌の世界を描いて遊ばれた貝覆いは、共に和歌との関わりが深かったわけですが、そのどちらにも、歌かるたに通ずる要素を見てとることができるでしょう。歌かるたの初期に作られたものは、天正かるたなどと区別するために、将棋の駒型をしたカードや、そのものずばり貝の形をしたカードがありました。遊び方についても、「貝覆ひのごとく」と記したものがあることから、貝合わせや貝覆いを参考に作られたとみて間違いないでしょう。
 歌かるたがいつから存在するのかは、まだ分かっていませんが、京都の中院通村卿が小倉百人一首の歌かるたを作らせたという記録が、宝暦年間(1751~1764)の版本にあります。この通村卿は、京都でのかるたの量産に力を入れ、天正かるたも作らせている人ですから、ほどなく歌かるたも普及していったであろうことは、想像に難くありません。
Photo 須賀川市立博物館蔵 貝合わせ

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