史料

2014年2月21日 (金)

片寄平蔵の略年譜をつくりました

片寄平蔵の略年譜

片寄平蔵の略年譜をつくりました。夏井先生の新聞連載記事を「背骨」に、いくつかの史料、参考文献の記事をあわせて、気になるところを「つまみ食い」した略年譜です。注目いただきたいのは、幕府が井伊直弼の死をなかったことにしていて、将軍が若年寄を彦根藩邸に、派遣、井伊直弼に朝鮮人参を見舞うところです。これ、安政七年3月7日のことです。この年譜、目下のところ不完全ですが、みなさまのご指導を仰ぎ、よいものに生まかわることができればうれしいです。ぜひ年譜の「子育て」にご参加ください。ダウンロード版のほうが詳しい内容となっております。  担当学芸員わ。

片寄平蔵略年譜                     勿来関文学歴史館   

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出典について 
1 ふくしま人 夏井芳徳氏 「ふくしま人」『福島民報』2013年10月~11月連載
2 実伝年表 本多徳次氏 『石炭の父片寄平蔵実伝』所収年表
3 実伝史料 本多徳次氏 『石炭の父片寄平蔵実伝』所引史料
4 資料  某氏採集資料(手稿)
5 維新史料 東京大学史料編纂所 維新史料データベース
6 大平文書  下湯長谷村大平家文書
7 上小津田 北茨城市所蔵 上小津田村石炭御用留

片寄平蔵略年譜                     勿来関文学歴史館                                                                                                                                                                                                                                                                     20140220TT.pdfをダウンロード ←従来版

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西暦年 平蔵の事蹟 典拠
1813 平蔵誕生 1
1839 大森村 平蔵、御用金10両を命じられる 4
1841 叔父の経営する古川屋の養女タカと結婚 1
1847 大森村 片寄平蔵、帯刀を許される(帯刀御免   大森村 片寄平蔵)すでに苗字を許されているヵ 4
1847 大森村 片寄平蔵、名主頭次席(金高20両)となる 4
1849 苗字・帯刀・乗馬を許される。(注)すでに苗字・帯刀を許されているヵ 2
1852 水戸斉昭、領内の秋山、野口、手綱の石炭乱掘を禁じる 5
1853 ペリーの艦隊が久里浜沖に来航、浦賀沖に停泊 5
1853 幕府、備前児島の石炭備蓄の状況を照会、、岡山城主、筑前三池等5か国13カ所の石炭を集積している旨、回答。 5
1854 ペリーの艦隊が再度の来航 5
1854 幕府勘定奉行、筑後柳河城主に石炭10万斤の調進を命じる 5
1854 下田奉行用人が、米国側から石炭1個が渡されたことを、報告。 5
1854 下田奉行支配組頭等、米国艦隊主計官スペーデン・エルドリッヂと通貨の比率と石炭の価格について商議。 5
1854 大森村 片寄平蔵、郷士格となる 4
1855 幕府、佐倉藩中屋敷(築地鉄砲洲)と鯖江藩下屋敷(芝一丁目)を収公し、さらに笠間藩中屋敷(日本橋浜町)を上知させて、これを佐倉藩(4,550坪)と鯖江藩(2,000坪)とに分譲する。 5
1856 筑後三池領より幕府に石炭10万斤が献上される 5
1856 平蔵が弥勒沢で石炭の鉱脈を発見 1
1856 箱館奉行が老中に異国船に石炭を供給してよいか伺う 5
1856 北蝦夷地白主会所詰足軽が、ロシア人80余名、オッチシに移住し石炭を採掘している現状を箱館奉行に報告。 5
1857 筑後三池領より幕府に石炭10万斤が献上される 5
1857 明石屋治衛門代平蔵、湯長谷領主内藤家江戸役所と湯長谷役所双方に、コールタールの製油許可を申請。 3
1858 筑後三池領より幕府に石炭10万斤が献上される 5
1858 安政の大獄 5
1858 幕府、外国奉行を新設、永井尚志、外国奉行になる 5
1858 旗本秋山八郎知行所小津田村の産物として石炭が特記される 7
1859 片寄平蔵、外国奉行に外国との交易を申請 1
1859 筑後三池領より幕府に石炭10万斤が献上される 5
1859 大森村口入人平蔵、江名・豊間両村の船主らの依頼を受け、紀州藩御貸付所からの借金150両を調達し返済を約す 3
1859 上小津田村の石炭を江戸まで漕送する場合の見積書が小名米野町東屋次助から提示される。石炭百石、江戸まで、金14両2分。 7
1859 大森村口入人平蔵、江名・豊間両村の船主らの依頼を受け、紀州藩からの借金150両を調達し、四日市江戸明石屋治衛門に返済を約す 3
1859 片寄平蔵、横浜元町に明石屋平蔵を出店 1
1859 永井尚志、軍艦奉行差控の処分を受ける 5
1859 元軍艦奉行永井尚志、老中の取り調べを受ける 5
1859 上湯長谷名主作右衛門・下町名主木工兵衛、湯長谷郷方役所に小野田炭鉱の石炭を、江戸八丁堀一徳屋藤吉を通じ、平潟表より横浜御交易場への回送、販売を申請。 6
1860 英国総領事オールコック、イギリス人技師による平戸・筑前の炭鉱調査を申請する。幕府、拒否する。 5
1860 この月から三月までの足かけ2か月で、小野田炭鉱から石炭3,271俵を産出する 6
1860 桜田門外の変。 5
1860 将軍家茂、特使を彦根藩邸に遣し、朝鮮人参を大老井伊直弼に賜う。 5
1860 将軍家茂、若年寄を彦根藩邸に遣し、鮮鯛・氷砂糖を大老井伊直弼に賜う。 5
1860 平蔵、江戸浜町を離れる 1
1860 大老井伊直弼、直憲を嫡子とする。 5
1860 平蔵、いわきに到着 1
1860 幕府、大老井伊直弼を罷免する。 5
1860 幕府奥医師、彦根城主井伊直弼の病状を診る 5
1860 彦根藩、井伊直弼の死亡を発表する。 5
1860 井伊直憲、彦根城主を嗣ぐ。 5
1860 平蔵、急死 1
1862 幕府、軍艦操練所用取扱永井尚志を京都町奉行とする。 5

1865

幕府、高島城主諏訪因幡守に磐城平城主安藤理三郎中屋敷(浜町蠣殻町)を与える。

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2011年7月24日 (日)

勿来関文学歴史館 菊多剗についての2史料

菊多剗についての2つの史料を紹介し、読み下します。

(1)
太政官符
応給考陸奥国外散位三十三人事
擬郡司廿八人 白河菊多剗守六十人自余略之
右直国府外散位等如件、省宜承知依件給考、
  延暦十八年十二月十日

『源氏物語河海抄』所引「延暦十八年十二月十日付太政官符」
太政官、符す。
まさに陸奥の国の外散位(げさんに)三十三人に給考(きゅう ごう)すべき事。
擬郡司(ぎぐんじ)廿八人、白河・菊多の剗守(せきもり)六十 人。自余(じよ)これを略す。右、直(じき)国府の外散位(げさんに)等(ら)、件(くだん)のごとし。省、宜しく承知し、件(くだん)によりて給考(きゅうごう)せよ。
   延暦(えんりゃく)十八年十二月十日(799)

(2)
太政官符
応准長門国関勘過白河菊多両剗事
右得陸奥国解称、検旧記置剗以来、于今四百余歳矣、至有越度、重以決罰。謹検格律、無見件剗。然則、雖有所犯、不可輙勘。而此国俘囚多数、出入任意。若不勘過、何用為固。加以進官雑物触色有数。商旅之輩、窃買将去。望請、勘過之事、一同長門。謹請 官裁者。権中納言従三位兼行左兵衛督藤原朝臣良房、宣。奉 勅、依請。
   承和二年十二月三日

『類聚三代格』巻十八 「五、関ならびに烽そうろう事」
太政官(だいじょうかん)、符(ふ)す
まさに長門(ながと)の国の関(せき)に准(じゅん)じて、白河(しらかわ)・菊多(きくた)の両剗(せき)を、勘過(かんか)すべき事。

右、陸奥(みちのく)の国の解(げ)を得(う)るに、称(い)はく、「旧記(きゅうき)を検(けみ)するに、剗(せき)を置いて以来(このかた)、今に四百余歳なり。越度(おっと)あるにいたりては、重くもって罰を決める。謹んで格(きゃく)と律(りつ)とを検(けみ)するに、件(くだん)の剗(せき)を見ることなし。しからばすなはち、犯すところありといえども、たやすく勘(かんが)うべからず。しかるにこの国の俘囚(ふしゅう)数多(あまた)あり、出るも入るも意のまま。もし勘過(かんか)せずんば、何用の固めたるか。しかのみならず官に進(まいら)す雑物(くさぐさのもの)、色(しき)に触れて数あり。商旅(しょうりょ)の輩(ともがら)、窃(ひそ)かに買い、将(い)て去る。望み請(こ)ふらくは、勘過(かんか)の事、一(いち)に長門(ながと)に同じうせよ。謹んで官裁(かんさい)を請(こ)ふべし。」といへり。権(ごんの)中納言従(じゅ)三位(さんみ)兼行(けんこう)左兵衛督(さひょうえのかみ)藤原朝(あ)臣(そん)良房、宣(のたまは)く。勅(ちょく)を奉(うけたまは)るに、請(こ)ふによれと。
   承和(じょうわ)二年十二月三日(835)

                                               (わきざか)

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